834blog

25歳金欠会社員がおくる、可哀想な毎日に乾杯。

情動買い

お題「10万円」

 

今日もありがとうお題スロット!毎回ボタン押しまくってごめんよ!!壊れんとってな!まだ頑張れるぞ!!

 

10万円かぁー、一人暮らしするようになってからの10万円と、実家暮らしの時の10万円じゃ価値が違うように思うなぁ。

単純に毎日生きるってだけで必要なお金が増えて、手元に残るお金はスズメの涙ほどになって。

俺は口座残高を見て涙を流すようになって。

 

さすがにそれはないな。

 

僕は毎月金欠なことも、昔家が貧乏だったこともあり、自他ともに認めるケチな性格です。

それこそ衝動買いなんて、全然したことなくて。

 

ところがどすこい10万円のギターを勢いで買っちゃいましたね。

半年くらい前だったかなぁ。

 

おうち時間が増えるにつれ、家でできることを探した時、楽器をしてみたいなって思ったんです!

思い立ったらすぐ行動!とりあえず島村楽器に行って店員さんに相談して、その場で買いました。

楽器ってほんと高いんですね、、、レジで普通にお金が足りなくて。笑

恥ずかしくて男梅くらい顔が赤くなりながら、急ぎ足でATMまで行きました。

でもそれだけ高かったからこそ、余計大事にしたいなって思いました。

 

そんな大切なギターも今じゃ部屋の隅っこでインテリアになっちまって。

ギター、不甲斐ない僕をゆるしておくれ。

ソーダストリームルーム

今週のお題「わたしの部屋」

 

23歳、仕事の勤続が1年を過ぎたタイミングで一人暮らしを始めた。

趣味が飲酒なもんで、終電を気にしなくて良いように駅から徒歩圏内で物件を探し、相場より安いところに決めた。

駅近くの、かの有名な、

「「「レオパレス」」」

同じような間取り、立地の物件より圧倒的に安いんですよね。笑

僕の部屋は確かワンルームの8畳くらいだった気がします!

 

いざ初めての一人暮らしにあたり、買い揃えないといけないものにどんなものがあるか。

実家と駐屯地しか住んだことがない僕は、それさえもわかってなかったです。

わからない以上、一人暮らしを経験したことのある、人生の先輩に聞くのが1番早いかなと思い聞くことにしました。

つまりは僕の彼女様です。

 

僕の彼女は歳上で、一人暮らしもしたことのある人生の大先輩でした。

そして優しくて可愛い。酒癖が悪い以外、文句のつけどころがありません。

そこで一人暮らしの必需品についてお伺いしたところ、さすがの経験者、めちゃくちゃ教えてくれました。

さらにはもともと自分が使っていた家電を譲ってくださるとのこと。もう一生ついて行こうとさえ思いました。

それでも足りないものは100均で揃え、とても安く済ませました笑

 

ただ1つだけ、譲れないものがありました。

お酒を愛している僕がどうしても家に置きたかった家電。

そう、ソーダストリームです!!!

お酒好きな方からすればすごく共感いただける家電だと思います!!

 

ソーダストリームとは炭酸を作る家電です!

やり方は簡単、ボトルに水を注いでセット、そしてボタンを押すだけ。それだけで自分好みの炭酸が作れるという代物です。

そんな素晴らしいものが一万円ほどで家に置けるのってすごいですよね!

実際ソーダストリームで作った強炭酸水でハイボールを作ったらめちゃくちゃ美味しいです!!

 

お酒好きな方、ぜひ!!!!

 

読んでくれてありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕のノンフィクション③

 

結局不審者に出会ったことで、自衛隊になることに決めました。

仕事もなかなか上手く見つからず、3年付き合った彼女には浮気されるなど、この時期には良くないことが色々あったので、もうどうにでもなれ精神でとりあえず知らない世界に足を突っ込むことにしました。

人生をリセットしたい気持ちもあったかな。

家族も友達も、誰も予想していなかったまさかの僕、自衛官。みんなびっくりしてました。笑

なんでわざわざ自衛隊なん?と、たくさん言われたけど、自分でも具体的に説明できず、なぜだかよく分かりませんでした。

でも自衛隊、かっこええやん、、??

 

大切な髪の毛と新しい彼女、家族と友達。

そして、地元である大都会岡山県に別れを告げ、愛媛県の駐屯地に投獄されることになりました。

愛媛県は浮気した元カノが住んでいる県なので、複雑な心境でした。

偶然会ったら気まずいなぁーとか考えていたら新居である、松山駐屯地に着きました。

 

第二の人生がスタートしました!

開幕早々大好きなタバコもお酒も封じられ、男10人部屋で過ごしました。いびきがすごい人は必ずどの部屋にもいるもんですね。寝不足になりました。

さらには平日はもちろん、休日も、毎日のスケジュールが管理されている状況が息苦しかったです。

その後自衛隊としてやっていく未来を考えた末、疑問を感じ、自衛隊を退役することになりました。後悔はありませんでした。

第二の人生は、1年も持ちませんでした。短いですね笑

 

地元に戻り、バイトをしながら転職活動を地道に続けることにしました。

配達のバイト中、2ヶ月連続で事故り、バイクを廃車にするという僕の功績が讃えられ、うちの店舗が全国にある支店の中で事故率ワースト1位の栄冠を獲得し、配達のバイトなのにバイクに乗せてもらえなくなりました。

夏場のチャリ配達は想像以上にキツく、自分の置かれている不思議な状況を理解するのもキツかったです。

奮闘する中続けていた転職活動が功を奏し、この時奇跡的に決まった会社に今も勤めています。ホワイト寄りのグレー企業といったところです。

今はほんとにギリギリの生活といえど、続けることができ、現状生きていけてます。

 

そして今、将来結婚したいとさえ考える最高の彼女に出逢えました。

あの時自衛隊を辞めて地元に帰ってきてなかったら、あの時ブラック企業に3年間勤めてなかったら。

彼女に出逢えたおかげで今までの人生の選択肢も、無駄に思えなくなりました!

 

 

 

そして今現在至ります!面白くもないし、長いのにわざわざ読んでくださった方めちゃくちゃ本当にありがとうございます。泣きそうなくらい本当に嬉しいです。

 

将来彼女や家族が、僕のことを誇りに思ってくれるような、そんな人間になるべくこれからも頑張りまくります!

 

読み直したんですがやっぱ読みにくいですね。笑

もっと読みやすい書き方をしばらく勉強することにします!失礼しました!!

 

 

僕のノンフィクション②

 

 

高校生だった僕は、将来の夢ややりたいことが見つからなかったので、求人票で見る限りホワイト企業そうな会社の商品管理に就職を決めることにしました。

求人票を見た限り、給料は決して多くないけど、土日祝日完全休みの仕事内容もキツくない真っ白なホワイト企業でした。

この会社なら長く続けられて、18歳という早いうちから働いたら出世もできるかなって、頑張ろうって思ってました。

 

現実は違いました。

 

毎日のサービス残業。上司からの暴力。罵倒。それらを見て見ぬフリする全員。僕の居場所も、味方もいないんだと思いました。

その会社の全部が気持ち悪く思えました。

僕(仕事辞めたい、、、)

そう毎日本気で思ってました。

でも同時に思い出してました。

就職が決まって、普段行かない焼肉に母が連れて行ってくれたこと。

スーツを買ってくれた時の嬉しそうな母の顔。

「おめでとう。」と言ってくれて、心の底から喜んでくれたこと。

 

辞める気になんかなれませんでした。

僕(この会社に入社したのは僕の責任だ。僕なんかが正社員として働けているだけ恵まれている。まだ続けるべきだ。今辞めても他に僕をとってくれる会社はない。)

世の中のことなんか何も知らないくせに、そんなことを自分に言い聞かせながら、仕事を続けました。

何度も倒れました。ストレス性の胃腸炎でした。

会社に近づくと急に頭痛が起きたり、気持ち悪くなって嘔吐したり。

胃の不快感や痛みで、普段通り立つことも座ることもできなくなりました。

母に会社のことを全部話しました。間髪入れずに言われました。

母「辞めちゃれ、辞めちゃれ!笑」

僕「めっちゃ軽いやんけ。」

 

母の思いがけないノリの軽さと言葉に助けられ、退職を決めました。次の仕事が決まるか心配なので3年はなんとか続けることにしました。

その間にもアンポンな唯一の同期が辞めたり、一緒に相合い傘をした美人なパートさんが辞めたり、アンポンな後輩が辞めたり。取り残される側ってこんなに辛いんだなぁと学びました。

入社して3年が経ちました。1番上の上司に相談するとあっさり聞き入れてくれて、とんとん拍子に話が進みました。すぐ辞めることになりました。

 

退職まであと1週間くらいになったらすんごい解放感でした笑

3年間見てきた景色も違って見えて、あんなに嫌いだった上司も、そこまで嫌ではなくて。

あっという間に退職しました!

、、、次の仕事も決めずに。笑

 

次の就職先を探すため、バイトをしながら職業安定所に通い続けていました。そんな生活が続いたある日、入り口付近でやたら背の高くてゴツい、不審なおじいちゃんに話しかけられました。

 

不審者「こんにちは!!!君!!!!何歳!!!!??」

僕「あ、大丈夫です。」

不審者「自衛隊とか、興味ない!!!???」

僕「ぜひお話聞かせてください。」

 

目の前にいる、どこにでもいる不審者だと思っていた人は実は自衛官でした。

屈強で、真面目で、少し近寄りがたい自衛隊のイメージは、目の前のおじいちゃんに打ち砕かれました。

でも逆にこのイメージ崩壊のおかげか、職業安定所で見た求人のどの仕事よりも、自衛隊という存在に興味が湧きました。

 

 

数ヶ月後、僕は学生以来の坊主頭になり、山の上でほふく前進をしていました。

 

 

なるべく削って書いてるんですけど長くなりすぎちゃってますね。。。

自分の書いた文章を読み返してみても、なんも面白くなくて、恥ずかしくて辛いです。

次でなんとか最後にするので、めちゃくちゃ面白くないですけど、ぜひ読んでもらえたらと思います。。。

今日もこれを読んでくれたあなた、生きててくれてありがとうございます!!

僕のノンフィクション①

 

ちょっと待って!そこのあなた!初めまして!834っていいます!

 

今回は自己紹介をさせてください!そこのあなた!!わかりますよ!興味ないのは!!!笑

でもほんと、誰かに見て欲しいので見ていってください、、、笑

 

こんなおっさんの文章を読んでくれる優しいあなたがだいすきです。

 

※この話はノンフィクションです。

 

改めまして初めまして!834っていいます!

読み方は「ばさし」です!好きな食べ物が馬刺しなのと、ブログを始める時に観ていたYouTubeの動画を不意に止めた時の時間が8:34だったのでこの名前にしました!お気に入りです!

 

僕は岡山県という、みなさんが聞き慣れない県で生まれました。有名なものはきび団子と千鳥というお笑い芸人のみです。

 

昔から大の、いや特大の「人見知り」で、なおかつ「恥ずかしがり屋」というガラスのハートだった834少年は、物心ついた小学生にして気づけば「ボッチ」という状況に陥ってました。

いじめには発展しなかったものの、「自分をみて周りの子が悪口を言ってる気がする」、「自分だけひとりぼっちだなぁ」と暗黒学生生活を耐えてました。

もう聞くことはないですが、体育の時間とかに先生が「2人1組のペア作って〜。」と言って、周りの子がどんどん僕から離れていって、各々ペアを作って。

そんなトラウマは未だにあります。当時を思い出しても普通にしんどいですね笑

 

4年生に上がった頃、クラスに僕と同じ「ボッチ」がいました。

でもその子はいわゆるイジられキャラみたいな。そもそもいじられもしないボッチである僕からすれば格上の、雲の上の存在でした。

その子と偶然帰る方向が一緒で。当時の僕はほんま、顔からキャンプファイヤーでも始まるんかってくらい、顔を赤くして話しかけました。

その子が初めての友達になりました。

ボッチが2人ボッチになって、それだけで、すごく嬉しくて。なんとゆーか、初めて学校という大嫌いな場所で心が安らいだのを覚えてます。

 

中学では柔道部に入りました。僕はその頃はもうボッチではなくなってて、小学6年生の時からの仲の良い友達が入ると言った柔道部に、そのままストーカーという形で入ることになりました。

歳を重ね、学年が上がり、思春期で女子の目線が気になるなか、初めての坊主頭で登校した時はほんとしんどかったです。

(出頭する時ってこんな気持ちなんだろうな、いや俺が一体何をしたんだよ。)と当時は髪の毛を奪いやがった柔道を始めたことを後悔していました。

今思えば笑えるので良い思い出なんだろうなと思います。

 

高校生になり、初めての彼女ができました!夢にまで見たフサフサの髪の毛、夢にまで見た可愛い彼女を手に入れた僕は毎日が幸せだったことを覚えています。

その矢先、父が脳梗塞で倒れました。

幸い一命は取り留めましたが、麻痺も残り、今までのように働くことが出来なくなりました。

現実味のない、ドラマみたいなことが目の前で起こると実感が全く湧かないですよね。

母の収入のみで家族が生活するのは不可能でした。

家を引っ越し、ご飯を減らし、バイトを増やしました。

そのタイミングで彼女がメンヘラへと進化を遂げました。

初めての彼女で、距離感がイマイチ分からず、どれだけしんどくても彼女に寄り添っていました。

そして、なるべくして僕は病みました。

当時の僕はどんな顔をしていたのか、先生に呼び出され、大丈夫かと心配されるのは少なくありませんでした。

母も姉も満足にご飯を食べることはできない毎日が続くなか、教室で友達が「嫌いなおかずだから。」とお弁当のおかずを残していたのを見て、(それ残すくらいなら母と姉にくれよ!!!ご飯のありがたみも知らないで、ふざけんな!!!)と、何も悪くない友達に本気でムカつくほど心は荒んでました。ほんとうにごめんなさい。

髪の毛を手に入れた代償に、性格がゲスの極みになって、このままどうしようと思ってた矢先に無事就職が決まりました!!!

 

父の容態も安定し、バイトという形で元の会社で働き続けることになりました。

姉も夢だった美容師に無事になれて、すごく嬉しかったです。

(ようやく毎日が良くなりそう!これで遠慮せずにちゃんとご飯が食べれる!!)とほんとに、嬉しかったな。

未来への希望を胸に、社会人生活が始まりました!!!!

 

 

次回「ブラック企業勤めから自衛隊へ」

 

 

長くなりすぎてごめんなさい。読みにくくてごめんなさい。読んでくれた人がいたら本当に心の底からありがとうございます。

もしその後も読んでいただけるようでしたら、この御恩忘れません。あなたのことが大好きです!

保育園の中庭

 

ベイブレード」と聞いて、保育園に通っていた昔を思い出した。

当時通っていた保育園ではベイブレードバチバチに流行ってて、自分もベイブレーダーだった。

 

 

ベイブレードと呼ばれるシャレオツなコマを何個持ってるか自慢しあい、誰が1番強いベイブレーダーか本気で口論しあってた。

4,5歳かな、そんな小さい子でもその話題で本気で喧嘩をするほど熱狂的なファンが多かった。

 

保育園でおやつを食べて昼寝をして。

起きて中庭でベイブレードの話をして。

おもちゃを持ってくることはダメじゃったけん、なぜかみんな自身がベイブレードになって、休み時間いっぱい中庭でひたすら回り続けた。

大人になって思うと、中庭の光景は異様じゃったことに気付いた。笑

 

でも大人になって振り返るとクラスほぼ全員が中庭で本気でベイブレードになりきってたの、カッコ良くてエモいな。

子供ながらに一生懸命おんなじものに打ち込んでたあの頃が懐かしくて、ちょっと嬉しくて、さみしくなるな。

 

回っててもいつか止まるんだな、ベイブレードってなんか深そうで良いなぁ。

 

生まれ変わったらベイブレードになろっかな。

 

久しぶりに思い出したなぁ。

毎日

 

今日も生きています、834です。

 

突然ですが、生きるってめちゃくちゃしんどくないですか?

さすがの僕も最近、気づいちゃいました。

生きるのが嫌!とかそーゆんじゃなくて、1日、たった1日をおくることでさえ大変ってゆうか。

子供の時は大人がこんなに頑張って生きていたなんて思わなかったです、、、働く大人達、ほんと君たち偉いよ。あなたも。

 

僕の会社は冬場が繁忙期です。この時期は時差出勤で、週6日で残業しながら働いて。

訳の分からない理由で説教をしてくる上司に怒られ、家でお酒に飲まれ、気づいたらめざましテレビが流れてる。

 

こんな毎日嫌じゃー!!遊びたーーい!!

 

毎日友達と遊んで、彼女とデートして、お酒を飲みながら馬刺し食べて、笑って生きていきたいよ。。。

希望があった学生の時に戻りたいよ、、、。

家族と会いたいよ。

 

友達と映ってる写真をみて、楽しい思い出にひたりながら飲むお酒、世界一美味しいですよね。

あ、かっこいいかなって思ってギター衝動買いしちゃったけど、全然してないな。

 

 

今日はジャックダニエルハイボールにしよー!わーい!いただきまーす!(情緒不安定おじさん)

待ってろめざましテレビいいいい!!!